慈悲のかわりめ

副住職 花園 一実

この文章をかいている数日前、京都で予定されていた「五山送り火」に関する、ある事態がニュースとなっていた。当初京都市では、慰霊の意を込めて、東日本大震災の津波で流された、岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松を大文字で燃やす計画であったが、放射能汚染を懸念する声が相次いだことから、結局「不安を払拭することができない」と受け入れを中止した。だが、これに多くの批判が殺到したため、一時、送り火を行うことを決定していた。しかし、届いた松から新たにセシウムが検出されると、「科学的根拠から安全性を保証できない」として、結局その薪を使用した送り火は中止されてしまったのだ。

この問題について、論理的、宗教的、さまざまな立場から意見が寄せられていた。しかし、事柄の是非はともかくとして、私は今回の出来事は人間における宗教的行為の限界を示すものではなかったかと思う。

「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」と始まるのは『歎異抄』の第四章である。「聖道の慈悲」とは、人間の思いによって他者を助けたいと願う心である。しかし、その心によっては思うごとくに人を助け遂げることは難しいと親鸞は言う。今回の送り火問題に見えるように、私たちは限定された身と環境を生きている以上、現実のさまざまな制約の中にあって、思い通りに人を助け遂げることはかなわない。しかし、そのことに納得がいかず、どうしても苦しまずにはいられないのも、また人間であろうかと思う。

聖道の慈悲とは、どこまでも人間の悲しみである。震災後、多くの報道が被災地の悲しみを伝えていた。愛する者を失った悲しみ、自分だけが生き残ってしまった悲しみ、親しい者の悲しみに寄り添えないことの悲しみ・・・・・・。どうにかしてあげたいという人間の祈りのような要求が、どうすることもできないという無常の現実に直面したとき、私たちは立ち尽くし、嘆かずにはいられない。しかし、その嘆きの中にこそ、親鸞の言う「慈悲のかわりめ」があるのだ。

かって、「祈りとは力及びがたき自己の発見である」と言った人がいた。言い換えれば、聖道の慈悲としての、私たちの思いによる救済の希望の芽が尽きたところに、本当の純粋な祈りがあらわれてくる、ということであろう。それは人間の思考が移り変わるのではなく、かえって慈悲それ自身の歩みというべきものである。他者を慈しみ悲しむ人間の心が、どうすることもできない身の事実に直面したとき、その悲しみは自己の内側に向かっていく。その悲しみの中で、私は私に先だって私を悲しみ続けてきた、大いなる悲しみに触れる、「慈悲のかわりめ」という時を持つのである。

悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、
涙は涙にそそがれる涙にたすけられる。 (金子大栄『歎異抄領解』)

親鸞が顕かにした宗教的自覚としての信心とは、この大悲によって、悲しまれ続けている自己の発見に他ならない。(「親鸞仏教センター通信」より)

知の闇

住職 花園 彰

九州の友人が出版した自署を送ってくれました。彼の信仰の歴程が書かれてありました。

彼は頭脳明晰な男です。寺の長男として生まれ、寺を継がなければならない身にとって、寺はあまりにも不合理な世界であったようです。近代的理性で生きていたその彼に衝撃を与えたのが、念仏者であった宇野正一さんの本でした。そこには幼いときの宇野さんのエピソードがありました。

四才で母親に死別した宇野少年は、養子であった父親からも捨てられ、文盲に近かった祖父母に育てられました。祖父は「たべものには仏がござる、おがんで食べなはれ」と教えられ育てられました。小学5年のとき、その思いが打ち破られる事件が起きました。宇野少年は顕微鏡で一粒のご飯粒を覗いてみたのです。きっと仏さまが見えるに違いないと思いました。しかし、顕微鏡を通して見えたものは、「妙な模様の地図や石垣上の点々」だったのです。不審に思って理科の先生に尋ねました。先生は「君のおじいさんは昔の人だで、迷信を信じといでるだな、ご飯の中には蛋白質と含水炭素と、脂肪と水分、その他のものは入っとやせんがや」と明快に言い切られたそうです。あとでそれを聞いた祖父は「バチアタリ…。勿体ないなぁ、ナンマンダブツ…」と体を震わせて怒ることしかできなかったというのです。

一粒の米がどういう成分でできているかということ、そのお米をどういただいて生きていくかということは次元の違う問題です。先生はそれを混乱したまま「たべものには仏がござる、おがんで食べなはれ」を「迷信」だと言って切り捨てたのです。

友人は知らず知らずに、科学至上主義の知の闇に自分がいたことを知らされたといいます。友人だけではない、私たちもまた科学的なものの見方によって、いのちを生きる豊かな智彗のすがたが目に入らなくなってしまっています。

人間は「意味」を食べて生きているものだと教えられたことがあります。私たちの世界観、人生観は、私達がどのような「意味」を食べて生きているかを表現したものです。神話的表現は、先人たちが獲得した生きることの意味の表現です。人生に意味があるのか、ないのか。意味を食べて生きている私たちは、「意味」に迷って生きています。しかし、意味の求める「私」そのものは決して問われることはありません。そこが知の闇です。

『夜と霧』の著者でアウシュヴィツ強制収容所を生き残ったフランクルは、『苦悩の存在論』の冒頭にニーチェの「……苦悩そのものが問題なのではない。『なんのために苦しむのか』という問い叫びにたいして解答がないのが問題なのだ」という言葉を揚げています。私は何のために苦しまなければならないのか、その知の闇の百八十度の転換について、「わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ」と述べています。

その問いの転換こそ、「私」が破られることの関門であります。

無縁社会の意味

副住職 花園 一実

現代の世相を表す言葉の一つに「無縁社会」がある。この言葉はNHKスペシャルの特集によって脚光を浴び、その年の流行語に選ばれるほど社会に受け入れられ、浸透した。それには、孤独死年間3万2千人というセンセーショナルな事実の衝撃も大きかったかもしれないが、それ以上に、やはり社会全体がどこかこの言葉に象徴されるような行き詰まりを感じ取っていたからではなかっただろうか。
すでに詳論家によって指摘されているように、この問題の背景には、核家族化による家族単位の変化、ネット環境への依存による他者との関係の希薄化、経済不況による生涯未婚率の増加などのさまざま要因があるといえる。しかし、これらの問題をいかに非難してみたところで、状況は何も変わらないだろう。現代社会における個人化の傾向は、もはや歯止めのきかないところまできている。どこまでも自分の思い通りにしたいと考えることが、避けられない人間の業であるならば、思いどおりにならない他者との関係をできるだけ遠ざけ、個人化していく現代の状況は、異常などではなく、むしろ必然と呼べるものなのかもしれない。

人、世間愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り趣く。身、自らこれを当くるに、有(たれ)も代わる者なし。 (『無量寿経』)

仏教では、人間は生まれながらにして独りであると教えられている。私の生がどれほどつらく苦しいものであっても、私以外の誰かにこの生を肩代わりしてもらうことはできない。死に行くときは、誰もが独りである。この意味で言えば、人はそれぞれ「無縁」の身を生きていると言うことができる。しかし同時に、さまざまな縁の中で生かされ、決して自分一人では生きることができないのもまた人間である。私たちの今生きている命も、認識も、一つ残らずすべて他者との関わり合いによって成り立っているのだ。人間は「独り」であり、「一人では生きられない」。そしてこれらは矛盾などではなく、私の生に賜っている確かな事実なのである。
おそらく「無縁社会」という問題も、この人間の事実の両面性を見失ってしまっているところに起こってくるのではないだろうか。このことをぬきに、例えば個人化を助長するすべてのシステムを廃して、「つながり」を強調する社会をつくったとしても、問題は堂々巡りを繰り返すだけである。そもそも「無縁=悪」「つながり=善」というステレオタイプそのものが、この問題を助長させていると言えるからだ。問題の本質は、つながりにくい社会構造にあるのではなく、いまこの身の中に息づいている、最も自然なつながりを見失っている一人ひとりの生き方の中にこそある。
この「無縁社会」という言葉が私たちに問いかけているものとは何であるか。表面化された出来事ばかりに惑わされず、問題の位相をたえず確かめ続けていく必要があるだろう。

魂の追いつく時間

副住職 花園 一実

昨年は友人からの頼みで、十日間ほど北海道のお寺でお話しをさせて貰う機会がありました。もちろん現地へは飛行機で向かったのですが、便利なもので羽田から千歳空港まで、たったの二時間弱で着いてしまいました。全く人間は凄い移動手段を手に入れたものだなと思います。しかし考えてみれば、それは移動手段だけではありません。現代はインターネットを通して、あらゆる情報が瞬時に行き交う時代になりました。テレビを見ていても、世の中のトレンドは、もの凄い早さで移り変わっていくように思います。世の中は便利になって、確かに私たちの身体や情報は「早さ」を手に入れました。しかし私たちの心は、その現代の「早さ」に追い着けているのでしょうか。

ミヒャエル・エンデという童話作家が、こんな話を残しています。ある探検家が、ジャングルの奥深くにある遺跡に向かっている。彼らは道案内と荷物持ちのために、何人かの先住民インディオたちを雇っていました。彼らの協力によって、一行は順調にジャングルを進んでいきます。しかし、五日目になったとき、インディオたちは急に立ち止まり、進むことを拒否してしまったのです。賃金を上げるからと言っても、インディオたちは円陣を組んで座り込んでしまい、そこから一歩も動こうとしません。しまいには銃で脅しても動かないので、探検家はあきらめて、彼らと一緒にそこで待つことにしました。そうして二日が経ったとき、インディオたちは突然立ち上がり、また一斉に目的地に向かって歩き出しました。探検家はなぜこんなことをしたのかと、インディオに尋ねました。するとこう答えたのです。「私たちは早く歩きすぎた。だから、魂が追いついてくるまで待たなければならなかったのだ」

北海道の方々が東京にやってきてまず驚くのは、都会の人達の歩くスピードの早さなのだそうです。たった数分の電車の遅れでイライラしていると。私自身もお参りに向かう途中、人身事故で電車が止まってしまったとき、「よりにもよって、どうしてこんなタイミングで・・・・・・」と思ってしまったことがあります。その時、事故で亡くなっていかれた方のことはもちろん頭にありません。私たちはいったい何をそんなに急いでいるのでしょうか。「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。それはつまりインディオが言うところの、魂を亡くしているということなのでしょう。私たちは現代の「早さ」に促されるあまり、知らず知らずのうちに誰かを思いやる心、そして自分自身を思いやる心というものを亡くしてしまっているのではないでしょうか。めまぐるしく移り変わるこの世の中で、人間には「魂が追いつく時間」を持つことがとても大切であると感じます。

誰かが私を生きている

私が学生時代から非常に尊敬してやまない人物にビリー・ワイルダーという映画監督がいます。『お熱いのがお好き』など、喜劇作品を数多く撮り、50~60年代アメリカ映画の黄金期を支えた人物です。そのワイルダーが、仕事場に「How would Lubitsch have done it?(ルビッチならどうする?)」という言葉を額に入れて飾っていたという有名なエピソードがあります。ルビッチとは、ワイルダーが下積み時代にその下で仕事を教わり、作風についても彼が最も影響を受けたと語るハリウッド黎明期の巨匠です。ワイルダーは創作活動に行き詰ったとき、師であるルビッチならばどうするか、常にこの問いに立ち返っていたといいます。

このエピソードを聞いて私が意外に思ったのは、一時代を築いたワイルダーほどの人物が、その創作の根幹の部分において、ルビッチという「他者」の存在を拠り所としていたことでした。つまり彼の作品は、彼自身の手によって、ゼロから創られたように見えますが、実はそこには脈々と受け継がれた師からの伝承があり、彼の作品はいわばルビッチとの共同作品であったのです。

私はこれと同様の精神を親鸞にも感じます。例えば親鸞の『教行信証』は、全六巻にわたる大著でありながら、実にその八割以上が、経典や論釈からの引用によって成り立っています。親鸞独自の言葉(御自釈)は、二割もありません。それでいて何か新しい、今の時代にまで響くようなまでインパクトを持っているというのは、考えてみればとても不思議なことです。

「親鸞はオリジナルという概念を徹底的に疑った人だ」と述べた批評家の方がいました。例えば親鸞のものを読んで、「私の考えが正しい、だから私の言うことを信じろ」という表現を見つけることは出来ないでしょう。門徒の方にも馴染みの深い「正信偈」でも、最後は「自分が教えを頂いてきた高僧たちの言葉をただ信じなさい(唯可信斯高僧説)」と結ばれています。

おそらく親鸞という人は、自分が書いた物の中に、何か自分が単独で作り上げたものがあるとは、微塵も思っていないのです。自分はこれまで伝承されてきた先人たちの言葉を容れる「器」でしかない。自分が書いた物は、過去に紡がれてきた「誰か」の言葉が「私」を通して表現されたものに過ぎないのだと。このように徹底して考えていたのだと思います。

そしてこれは、私たちが生きることについても同じことが言えるのではないでしょうか。私が自分一人で作り上げた、私のオリジナルだと思って疑わないこの人生も、実はこれまで関わってきた無数の「誰か」と共に作り上げてきた、共同作品のようなものかもしれません。そして反対に私もまた、誰かの作品の一部であるかもしれないのです。私がいま生きているという事実の中には、きっと私ではない無数の「誰か」が存在していて、私が生きているということは、同時に「誰か」が私を生きていることでもある。「オリジナルなどない」。そういう人たちの作品に、私が魅力を感じるのは、このような理由ではないかと思うのです。

聞法コラム