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聞法コラム

魂の追いつく時間

副住職 花園 一実

昨年は友人からの頼みで、十日間ほど北海道のお寺でお話しをさせて貰う機会がありました。もちろん現地へは飛行機で向かったのですが、便利なもので羽田から千歳空港まで、たったの二時間弱で着いてしまいました。全く人間は凄い移動手段を手に入れたものだなと思います。しかし考えてみれば、それは移動手段だけではありません。現代はインターネットを通して、あらゆる情報が瞬時に行き交う時代になりました。テレビを見ていても、世の中のトレンドは、もの凄い早さで移り変わっていくように思います。世の中は便利になって、確かに私たちの身体や情報は「早さ」を手に入れました。しかし私たちの心は、その現代の「早さ」に追い着けているのでしょうか。

ミヒャエル・エンデという童話作家が、こんな話を残しています。ある探検家が、ジャングルの奥深くにある遺跡に向かっている。彼らは道案内と荷物持ちのために、何人かの先住民インディオたちを雇っていました。彼らの協力によって、一行は順調にジャングルを進んでいきます。しかし、五日目になったとき、インディオたちは急に立ち止まり、進むことを拒否してしまったのです。賃金を上げるからと言っても、インディオたちは円陣を組んで座り込んでしまい、そこから一歩も動こうとしません。しまいには銃で脅しても動かないので、探検家はあきらめて、彼らと一緒にそこで待つことにしました。そうして二日が経ったとき、インディオたちは突然立ち上がり、また一斉に目的地に向かって歩き出しました。探検家はなぜこんなことをしたのかと、インディオに尋ねました。するとこう答えたのです。「私たちは早く歩きすぎた。だから、魂が追いついてくるまで待たなければならなかったのだ」

北海道の方々が東京にやってきてまず驚くのは、都会の人達の歩くスピードの早さなのだそうです。たった数分の電車の遅れでイライラしていると。私自身もお参りに向かう途中、人身事故で電車が止まってしまったとき、「よりにもよって、どうしてこんなタイミングで・・・・・・」と思ってしまったことがあります。その時、事故で亡くなっていかれた方のことはもちろん頭にありません。私たちはいったい何をそんなに急いでいるのでしょうか。「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。それはつまりインディオが言うところの、魂を亡くしているということなのでしょう。私たちは現代の「早さ」に促されるあまり、知らず知らずのうちに誰かを思いやる心、そして自分自身を思いやる心というものを亡くしてしまっているのではないでしょうか。めまぐるしく移り変わるこの世の中で、人間には「魂が追いつく時間」を持つことがとても大切であると感じます。